禅定林大本堂落慶法要ー21 2007年3月20日(火)
 ナグプール市内に拠点を持つ中学・高校生で構成されている「セブン・アート・アカデミー」の人たちは「アングリマーラ」という音楽舞踊を披露・奉納しました。
 アングリは指、マーラは首輪。盗賊であったアングリマーラは親分にそそのかされ、千人を殺害して、その指を首に巻くことを余儀なくされました。999人を殺害し、その指を首に巻き、最後の一人を捜し求めていたところ、お釈迦様に出会い、人の命を奪うことの無意味さを教えていただき、僧侶になって悟りを開いたという物語です。

禅定林大本堂落慶法要ー20 2007年3月20日(火)
 天台宗神奈川教区、北総教区、兵庫教区、九州東教区の寺庭婦人有志の方々によって、叡山流詠舞の奉納がありました。
 唱詠師は東海教区の立松圓浄師で、のびやかな御詠歌と詠舞の息はぴたりと合っていました。

禅定林大本堂落慶法要ー19 2007年3月20日(火)
 普段は年に一度10月の発行ですが、禅定林大本堂落慶式特別号として「マハサマディ」会報が臨時発行されました。
 通常はヒンディ語だけの会報ですが、今号は日本の方々にも執筆していただき、ヒンディ語および日本語で編集されました。

禅定林大本堂落慶法要ー18 2007年3月20日(火)
 天台宗・群馬天台青年会有志の僧侶方が雅楽を奉納してくださいました。

禅定林大本堂落慶法要ー17 2007年3月19日(月)
 法要後に記念式典が行われたステージ前。男女の場所は大まかに分けられていますが、それもよくわからないほど、ぎっしりと人々で埋め尽くされていました。

禅定林大本堂落慶法要ー16 2007年3月19日(月)
 インド共和国独特の事情により、禅定林大本堂の工事は完成を見ることができませんでした。
 しかし数年前から、2007年2月8日に落慶式を行う方向で準備を進めた来たため、もし法要日を変更したならば、多方面に迷惑が及ぶだろうとの考えから予定を変更することなく法要が行われ、日本からも230人の僧俗の方々に御訪印いただきました。

 当初私達は、現地からは10万人くらいの参加者を予想し、テント・飲料水等の準備を進めてきたのですが、実際に当日訪れた人の数は30万人を超えたとのことです。
 午前11時、脇仏開眼法要のために、叡南覚範大導師が本堂内へ入られた時にはまばらな人数でしたが、約1時間の法要が終了し、外へ出てこられた時には見渡す限りの人で、法華経に説かれている「万八千人と共なりき」を実感したと言われました。
 普段大勢の人々を見慣れているはずの我々ですら、禅定林から子供の家までの700mを埋めつくした人数には度肝を抜かれました。

 現地の人達には、工事が未完成なので、日本からの参加者はないだろうとの気持ちがありました。彼らの意に反し、多くの皆様が来て下さったことで、我々が現地の人達との交流の中での仏教流布を考えていることを納得してもらうことができ、仏教徒として生きていこうとしている彼らに大きな勇気を与えました。実際に法要後、今まで我々と何の関係も持たなかった人から、異口同音に、本堂未完成にもかかわらず、200人を超す日本人が参加してくれたことへの、涙声でのお礼の電話を幾つももらいました。

禅定林大本堂落慶法要ー15 2007年3月19日(月)
 全インド僧伽協会官長サダナンダ猊下をはじめ、1,000km近く離れたところからも多くの僧侶方が参加して下さり、またタイからも僧侶が参加して下さいました。
 さらに、禅定林から約60km離れたところにあるチベット難民キャンプからも多くの僧俗が参列し、上座部及びチベット様式の法要も行われました。
写真:左・インド及びタイ僧による法要、右・チベット僧による法要

禅定林大本堂落慶法要ー14 2007年3月19日(月)
 禅定林住職として晋山するための法要を行ない、改めて仏僧三宝の御加護および支えていただいた多くの仏縁の方々に御礼を申し上げると共に、責任の重大さをかみ締めました。

禅定林大本堂落慶法要ー13 2007年3月19日(月)
 禅定林大本堂本尊様、脇仏様をはじめ多くの参列者が見守る中、天台座主名代の 森川宏映探題大僧正より 禅定林住職辞令 を賜りました。

禅定林大本堂落慶法要ー12 2007年3月18日(日)
 この度の禅定林大本堂落慶法要では「百僧百味供養」が行われました。
 ご参加下さいました在家の方々には、夫々の地方の特産物を一つ持参していただき、仏様にお供えしていただきました。
写真:百味をお供えするために大本堂へ上がる参加者

禅定林大本堂落慶法要ー11 2007年3月18日(日)
 禅定林の扁額です。
 3年前、比叡山浄土院の銅板瓦が葺き替えられる際、古いものを禅定林のためにいただき、一度溶かして板状にし、第255世天台座主 渡邊惠進猊下に「禅定林」と揮毫していただきました。

禅定林大本堂落慶法要ー10 2007年3月18日(日)
法要時、散華をされる出仕僧の方々。

禅定林大本堂落慶法要ー9 2007年3月17日(土)
 法要には10万人を超える参加者が見込まれていたため(後日の地元警察最終発表では30万人の人出でした)、一人でも多くの人に見てもらおうと、大本堂の落慶法要は外で行われました。
 並行して内陣では本尊釈迦牟尼仏、脇仏の伝教大師およびアンベドカル博士像開眼法要が行われました。
写真:開眼法要を勤修される毘沙門堂門跡門主 叡南覚範大僧正

禅定林大本堂落慶法要ー8 2007年3月17日(土)
 インドにおいて初めての、正式な日本天台様式の法要が執り行われました。 
写真:大導師 森川宏映探題大僧正

禅定林大本堂落慶法要ー7 2007年3月17日(土)
 多くの人たちが見守る中、落慶法要が始まりました。
写真:三礼をされる大導師 森川宏映探題大僧正

禅定林大本堂落慶法要ー6 2007年3月17日(土)
 落慶法要開始に際し、大津市坂本日吉大社の須原紀彦権禰宜(ごんねぎ)にお祓いをしていただきました。
 二つの宗教が共生することがままならないインドにあって、仏教寺院の落慶法要に神道の法要が加味されることは大変な驚きであり、新鮮に映り、宗教の共生が叶うことを実感できたのではないかと思います。
写真:須原紀彦権禰宜によるお祓い

禅定林大本堂落慶法要ー5 2007年3月17日(土)
 仮本堂から始まった行道(ぎょうどう・行列のこと)は大本堂に上がり、散華をした後、森川宏映探題大僧正、叡南覚範大僧正、濱中光礼天台宗宗務総長、清原恵光比叡山延暦寺執行、サンガラトナ法天マナケ住職および地元関係者によって、入り口でテープカットが行われました。
写真:テープカットをされる森川宏映師(左)と叡南覚範師(右)

禅定林大本堂落慶法要ー4 2007年3月17日(土)
 仮本堂到着後、小休止をはさんで大本堂への行列です。
 先頭から、サンガラトナ法天マナケ禅定林住職、禅定林大本堂落慶法要大導師 天台座主名代 毘沙門堂門跡前門主 探題大僧正 森川宏映師、本尊釈迦牟尼仏と脇仏の伝教大師およびアンベドカル博士像開眼法要を勤修していただいた毘沙門堂門跡門主 擬講大僧正 叡南覚範師にも加わっていただき、大変に荘厳な行列となりました。
写真:3本のきらめくインド風傘が、一層情緒豊かなものにした

禅定林大本堂落慶法要ー3 2007年3月17日(土)
 約1kmの道を、1時間近くかけて行進し、禅定林に到着しました。
写真:禅定林仮本堂前にて法要

禅定林大本堂落慶法要ー2 2007年3月17日(土)
 午前10時15分に、夫々の村から行進の列が出発しました。
 先頭は地元の人たち、続いてインドの楽隊、その後ろに日本の法螺貝(ほらがい)。そうしてその後ろに僧侶。最初は100人ほどの行列でしたが、あちこちから落慶式参加のために来た人たちも参加しました。100人を超える日本僧に加え、インド、チベット、タイの僧侶による長蛇の行道(ぎょうどう・行列のこと)は壮観でした。
 最終的には、先頭が禅定林に到着しても後続は700m離れたPM子供の家の前でした。
写真:ドンちゃん騒ぎのインド楽隊に、おしとやかな日本の法螺貝



禅定林大本堂落慶法要ー1 2007年3月17日(土)
 禅定林の住所はルヤード村ですが、地理的にはシンドプリおよびルヤード村にはさまれたところにあります。両方の村を合わせても人口1,500人くらいの小さな村です。
 インド全国的な仏教徒の比率は0.8%ですが、ナグプール近郊の数字に違わず、この両村も30%くらいが仏教徒です。我々の活動は1985年から開始しましたが、これらの村には小さいなりにもそれ以前から仏教寺院がありました。
 このたびの禅定林大本堂落慶式の始まりは、僧侶が半分ずつに分かれ、両方の村にある寺院からの行進で始まりました。
 
写真:ルヤード村寺院での法要

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